|
秋の夕暮れは、やっぱり、物思いに耽るものなんですね。 この楽天仁が、しみじみ、なんです。 空っぽで、情だけが、しみじみだから、 別に何をどう思うということもなく、 空っぽの心遊ばせるんです。 老仁の海馬は、若い頃から破壊されているんじゃないかと思うくらい、 記憶力はゼロに等しいんです。 どんなに感動した映画も、小説も、1年もせずに、すっかり忘れてしまうんです。 二度見ても、いつも、映画も小説も新鮮です。 旅で、感動して、ぎゃぁぎゃぁ騒動するのに、 二度目に行くときは、ほとんど覚えていない。 真呼が、想い出しながら、ああだった、こうだったと、よく話すんですけれど、へぇ、そうだったっけぇ・・・と相づちさえうてないくらいです。 過去に拘らないこともあって、 明後日の方しか向いていないこともあって、 記憶力は育たなかったんでしょうね。 なにしろ記憶力の基本は反復なんですから。 悔しければ、ずっと思い続け、 人にも話し、 繰り返し、繰り返し、シミュレーションが行われますから、 嫉妬する人や、拘りの人は、記憶力もいいのでしょうね。 無頓着な極楽蜻蛉は、記憶力悪いんですよ。 そんな老仁でも、心を空っぽにすると、 自ずから、記憶の海を泳いでいるんです。 おそらく海馬が破壊されているわけではなく、 記憶する必要を見いださなかっただけなんだろうと思います。 海馬は、300万年の人類の歴史を背負って、どんな凡仁の老仁にも、ちゃんと機能しています。選択しなくとも、勝手に、湧き出してくるんですね。 記憶力というのは、膨大な記憶の海から、必要なものを選択して引き出す能力のことなんでしょうね。 呆けると古い記憶が蘇ってくるんでしょうね。 記憶の淵に蘇ったのは、老仁が選択して想い起こしたものではありません。 ふっと、湧いてくるんです。 『 欲望 』は、若い頃見た映画なんですね。 愚仁のリアルな欲望ではないんです。 映画『 欲望 』の一場面が、脈絡もなく、そして限りもなく、つづいて展開されていくんです。それは、大樹が、風に吹かれて、ざわざわ、ざわざわ、揺れる場面です。それを留める意志も働きませんから、その大樹の葉のざわめきの中を、老仁は、ずっと、漂いつづけていました。 やわらかく、ゆるやかで、そして、あったかい、流れの中を浮遊しているのです。 冷めてから、考えてみました。 そして気づいたんです。 映画を見ていたときは、あのざわざわ、ざわざわは、「欲望」そのものなんだと思っていました。今、気づいたのは、あのざわざわ、ざわざわは、「欲望」の果ての、至福のたゆたいなんだろう、ということです。 もっと敷衍して、妄想してみると、 あの大樹のざわめきを、森林のざわざわにしてみると、緑と光と揺らぎが、母の胎内を感じさせるのだろうと、思えてきました。 胎内回帰の幻想と 森林回帰の幻想は、 同じ故郷の火志向なのかもしれません。 〇-----*****************************************-----〇 ★★★ 『 至福のときだよ 』瘋癲老仁妄詩 7010 ♪♪♪ ★★★ 『 幾たびも飛鳥に戻る心根を愛呼と共に故郷の火とせん 』★ 瘋癲老仁妄詩 3302 ♪♪♪ ★★★ 『 回帰する心を明日香に遊ばせて万葉の恋手繰り寄せけり 』★ 瘋癲老仁妄詩 3301 ♪♪♪ 〇-----*****************************************-----〇 |
| << 前記事(2007/11/11) | トップへ | 後記事(2007/11/23)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/11/11) | トップへ | 後記事(2007/11/23)>> |