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zoom RSS 秋の暮れ淵に『欲望』立ち上がる

<<   作成日時 : 2007/11/20 16:30   >>

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★ 瘋癲老仁妄詩 10204

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秋の暮れ淵に『欲望』立ち上がる

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 秋の夕暮れは、やっぱり、物思いに耽るものなんですね。
 この楽天仁が、しみじみ、なんです。
 空っぽで、情だけが、しみじみだから、
 別に何をどう思うということもなく、
 空っぽの心遊ばせるんです。


 老仁の海馬は、若い頃から破壊されているんじゃないかと思うくらい、
 記憶力はゼロに等しいんです。
 どんなに感動した映画も、小説も、1年もせずに、すっかり忘れてしまうんです。
 二度見ても、いつも、映画も小説も新鮮です。

 旅で、感動して、ぎゃぁぎゃぁ騒動するのに、
 二度目に行くときは、ほとんど覚えていない。
 真呼が、想い出しながら、ああだった、こうだったと、よく話すんですけれど、へぇ、そうだったっけぇ・・・と相づちさえうてないくらいです。


 過去に拘らないこともあって、
 明後日の方しか向いていないこともあって、
 記憶力は育たなかったんでしょうね。
 なにしろ記憶力の基本は反復なんですから。
 悔しければ、ずっと思い続け、
 人にも話し、
 繰り返し、繰り返し、シミュレーションが行われますから、
 嫉妬する人や、拘りの人は、記憶力もいいのでしょうね。

 無頓着な極楽蜻蛉は、記憶力悪いんですよ。
 そんな老仁でも、心を空っぽにすると、
 自ずから、記憶の海を泳いでいるんです。
 おそらく海馬が破壊されているわけではなく、
 記憶する必要を見いださなかっただけなんだろうと思います。

 海馬は、300万年の人類の歴史を背負って、どんな凡仁の老仁にも、ちゃんと機能しています。選択しなくとも、勝手に、湧き出してくるんですね。
 記憶力というのは、膨大な記憶の海から、必要なものを選択して引き出す能力のことなんでしょうね。

 呆けると古い記憶が蘇ってくるんでしょうね。


 記憶の淵に蘇ったのは、老仁が選択して想い起こしたものではありません。
 ふっと、湧いてくるんです。

 『 欲望 』は、若い頃見た映画なんですね。
 愚仁のリアルな欲望ではないんです。
 映画『 欲望 』の一場面が、脈絡もなく、そして限りもなく、つづいて展開されていくんです。それは、大樹が、風に吹かれて、ざわざわ、ざわざわ、揺れる場面です。それを留める意志も働きませんから、その大樹の葉のざわめきの中を、老仁は、ずっと、漂いつづけていました。
 やわらかく、ゆるやかで、そして、あったかい、流れの中を浮遊しているのです。


 冷めてから、考えてみました。
 そして気づいたんです。
 映画を見ていたときは、あのざわざわ、ざわざわは、「欲望」そのものなんだと思っていました。今、気づいたのは、あのざわざわ、ざわざわは、「欲望」の果ての、至福のたゆたいなんだろう、ということです。


 もっと敷衍して、妄想してみると、
 あの大樹のざわめきを、森林のざわざわにしてみると、緑と光と揺らぎが、母の胎内を感じさせるのだろうと、思えてきました。


 胎内回帰の幻想と
 森林回帰の幻想は、
 同じ故郷の火志向なのかもしれません。











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★★★ 『 至福のときだよ 』瘋癲老仁妄詩 7010
♪♪♪

★★★ 『 幾たびも飛鳥に戻る心根を愛呼と共に故郷の火とせん 』★ 瘋癲老仁妄詩 3302
♪♪♪

★★★ 『 回帰する心を明日香に遊ばせて万葉の恋手繰り寄せけり 』★ 瘋癲老仁妄詩 3301
♪♪♪   

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